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| 長谷堂城跡のある城山 | 城山登り口 | |
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| 長谷堂城はいつだれが築いたのかは定かではない.しかし、伊達文書の永正11年(1514年)「最上と戦って長谷堂城を陥す」の一節から推察すると、そのころすでに城塞的な形態を整えていたと考えてよいだろう.不落の城と称された慶長合戦当時には、小城に似合わぬ抜群の防御設備がなされていた. 慶長5年(1600年)9月14日、直江山城守兼続が2万の大軍をもって長谷堂城を攻めた.守は知将志村伊豆守、将卒5千余りを率いて篭城し野戦の駆け引きでは天下一といわれた直江を終始翻弄した. | ||
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| 城山中腹 | ||
| 城山中腹より上はやぶ蚊がたくさんいるので虫除けスプレーを忘れずに! | ||
| 城山頂上 | ||
| 最も激しい攻防戦は、15日、24日、29日で直江軍は、上泉主木、岩井備中、松本幸之助等の猛将が討死して惨敗する.そして、29日の夜半、直江は関ヶ原敗報を受けて長谷堂城から撤退した. 志村伊豆が孤軍よく直江の猛攻に耐えて、これを退却させたのは、彼の武将と共に別名亀ヶ城の甲羅がいかに固かったかをものがたる. この戦いの功により、徳川家康は最上義光に57万石を与え、義光は庄内平野も含む、実質100万石ともいわれる大大名となり、現在の山形市の基礎を築くこととなった。 慶長6年(1601年)志村伊豆守酒田東禅寺城に転じて3万石.代わって坂紀伊守長谷堂城主となって3万石を領し、城郭の改築と城下町の建築に着手する.元和8年(1622年)坂重内の時最上家改易によって廃城となる. | ![]() |
とても低い山なのでゆっくり歩いても頂上までは20分ぐらいでいけます. |
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